もしかしたら、同じように「コミュニティでの居場所」に悩んでいる人がいるかもしれないので思い切って記事にしてみようと思います。公開するのすごく恥ずかしいし、改めて自分ってどうしようもないやつだな…と思うけれど。
私は昔から「ここに居場所はない。だから違うところにいきたい。外に外に。」と思ってきました。新しい組織に入って最初はなかなか心地よかったりするんだけど、だんだん慣れてくるとやっぱりここも違うのかな?って。もっと良い場所が他にあるはずだから、違うところ行かなきゃって。
もちろん、それがプラスのモチベーションになるときもあるし、実際に外に意識を向けたからこそ掴めたチャンスもあるから一概に悪いとは全く思わないけれど。
最近「ああ〇〇にも居場所はないかもしれない」と感じたとき、ざーっと私にとって居場所ってなんだろう、なんでこんなネガティブに捉えるんだろうって考えてみました。
たぶん、私にとって居場所って自分の考えを言おうと思える場所、自分がやりたいと思ったことに対する行動力を妨げられない(応援してもらえたら最高!)場所なんですよね。コントラバーシャルな話題について他の人と異なる意見を言える。自分史上最高の準備をするからこれをやらせてほしい。こういうことが私の中ですごく重要な意味をもつのかなって。
でも、そもそもこういうことをコミュニティの中でできるようになるためには、それまでの自分の考えの過程や感情を言語化して伝えていないといけない。どんな経験をしてきてその過程でどんなことがあって、それに対してどう思ったから自分はこんな意見をもつように至った。
上の文章の前半部分がなかったら説得力はないし、このひとの言ってることを聞いてやろうとは思ってもらえないんじゃないかな。
コミュニティって、ほんの少しだけかもしれないけど、そのコミニティに属している人みんなの「成分」が滲み出ているんじゃないかなと思う。似た「成分」は互いに惹かれるようになる。こうやって、少しづつみんな自分の生きるスペースを広げていっているのかもしれない。
今までの自分は「居場所がない」を言い訳にして、「成分」をコミュニティに滲み出させるのを恐れていたのかもしれない。自分の「成分」が周囲と違いすぎたら調和は乱れてしまうから。だから、自分の「成分」には直接関係しない耳障りの良い言葉を選択していたのだと思う。
でも、本当に今いるコミニュティで居場所をつくりたいなら、もっと自分の「成分」を滲み出させていかないといけない。もしかしたら、他の人の「成分」と喧嘩してしまうことがあるかもしれない。でも、「成分」は大事な自分の一部から出てきているし、似た「成分」の人と知り合えるかもしれない。
これって「今よりもう少しリスクをとる」という言葉さえ正しくないのかもしれない。
ただ自分でいる、自分をもっと出していい、ってだけ。
それでもしうまくいかないことが個人同士であっても、全体でみたら "Flavourful (風味でいっぱいの)" だから何も問題はないのかもしれない。
ここ数日考えていたことをすごく雑多にまとめた記事になってしまったけれど。
もし「コミュニティの中に居場所がない」と思っている人がいたら、
居場所がないことを言い訳に自分のことを表現するのを怠っていないか少し振り返ってみてください!