少し前のある日、いつものようにTwitterを眺めていると心を掴まれるTweetが流れてきた。
自分の心の奥底に押し込めてきた考えをぶわーと表していた。
それがしゃけこちゃんのこのTweet。
今日思ったリアルなとこ
— しゃけこ (@PSasasakikiki) 2021年7月12日
一語学学習者として 言語合う合わないとか色々 pic.twitter.com/oPBHQYPhIj
私の場合について軽く述べると、
私の両親は日本人で私の母語は日本語、幼少期から英語に触れる機会はあった。
このような状況で、いつの頃からか英語の方がしっくりくると感じる自分がいた。
英語は「自分を好きでいられる言語」という表現が好き。
確かに、私は英語と比べたら日本語の方が圧倒的に語彙が多く、多彩な表現ができる。
何かを行う際には日本語の方が楽、便利なはずである。
でも、私は英語で情報収集したり、行動を起こしたいと思うのだ。
なぜか。
大きく分けると次の3つに分けられると思う。
①これまでそれぞれの言語に紐づけられた経験や記憶
②英語の背景にある文化や慣習があっている
③英語が育てる新しい概念が私の信念にあっている
少し前まで私の中にあるのは①だけだと思っていた。
英語の環境では、少し挑戦したら、多くの人が応援してくれて。すごくハッピーだった。
もっともっと挑戦しようと思えた。失敗の可能性に怯えていなかった。
でも、よくよく考えたら私が英語に惹かれているのは②③なのかもしれない。
前の大学でも教育の側面からインクルージョンや多様性を扱い、今の大学でも多様性を広める活動をさせてもらっている。
「いろんな背景を持つ人がそれぞれの強みを使って、より良い社会を作っていく」ことに
私は興味があり、それを体現しようとしている英語コミュニティに惹かれているのではないか。最近はそんなことを考えている。
(英語コミュニティ一言では言えないバラエティに富んでいること、それぞれが問題を抱えていることも存じています)
母語と外国語以外の言語の区別の仕方をしている人がいること
ある言語が持つ文化や慣習によって使い手が感じうる感情が変わること
そんなことを知ってもらえたらいいなと思ってこの記事を書いてみました。